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    悲報、現役引退

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    【悲報】福原忍戦力外通告|ネット評価まとめ

    「超変革」を掲げる阪神が二軍調整中の福原忍投手(39)に来季以降の契約を結ばない方針でいることが本紙の取材で判明した。

     福原はプロ18年目の今季、就任1年目の金本監督から「投手キャプテン」に指名されたが、開幕から調子はいまひとつ。8試合に登板して0勝0敗、4HP、防御率5・40で、2戦連続の救援失敗もあり4月20日に登録を抹消された。二軍降格後はウエスタン・リーグで33試合に登板し、0勝1敗5セーブ、防御率6・59(29日現在)。復調には至らず、今も一軍再昇格を果たせていない。年齢的にも来年40歳を迎えることで球団は「これも世代交代のひとつ」(ある幹部)を理由に戦力外と判断した格好だ。

     福原は虎一筋で2014、15年には2年連続の最優秀中継ぎ投手に輝いた功労者。それだけに「今後はウチの指導者として活躍してもらえれば…」(球団関係者)とコーチなどのポストを検討しているという。福原は藤浪ら若手投手陣からの信頼が厚い。普段は温厚だが、ベンチ裏では逃げる投球を犯した若手に雷を落とすなど熱血漢でもある。実際「コーチとは違う見地で欠点を指摘してくれる。ありがたかった」(ある投手)と感謝する声も多い。

     当の福原は「まだ球団からは何も聞いていない。年齢や今の成績を見るといずれは…という意識はあるけど」と話し「まだやりたい思いはある」と現役続行の意思も口にしたが、すでに球団は27日、甲子園の球団事務所で金本監督も同席のもと、来季に向けた戦力編成会議を行った。指導者としての「待望論」は高まっている。

     
     
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    【悲報】豊田泰光 死去

     プロ野球で1950年代に黄金時代を築いた西鉄ライオンズの中心選手で、野球評論家としても活躍した豊田泰光(とよだ・やすみつ)さんが14日、誤嚥(ごえん)性肺炎で死去した。81歳だった。通夜は23日午後6時、葬儀は24日午前9時30分から東京都品川区西五反田5の32の20の桐ケ谷斎場で。喪主は妻峯子(みねこ)さんと長男泰由(やすゆき)さん。

     茨城県大子町出身。水戸商で全国高校野球選手権大会に出場し、53年に西鉄(現西武)入り。強打の遊撃手として27本塁打を放ち、新人王に輝いた。56年には打率3割2分5厘でパ・リーグ首位打者。同年からの3年連続日本一に貢献し、稲尾和久、中西太らとともに2番打者として「野武士軍団」といわれた西鉄の黄金時代を築いた。

     63年に国鉄(現ヤクルト)へ移籍し、69年に引退。17年間の現役通算で1699安打、263本塁打、888打点で通算打率は2割7分7厘。2006年に特別表彰で野球殿堂入り。野球評論家としてテレビやラジオ解説のほか、雑誌や新聞などでコラムを執筆。辛口の批評で球界の問題点を指摘し続けた。

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    【悲報】西岡剛!!年内絶望!!

    <阪神2-6巨人>◇20日◇甲子園

     阪神西岡剛内野手(31)が「左アキレス腱(けん)断裂」で負傷交代した。

    【写真】同点適時打を放つも一塁でバランスを崩し動けなくなる西岡

     巨人16回戦(甲子園)の2回裏2死三塁で同点適時打を左翼線に放ち、一塁に達する直前にベース付近で倒れ込んだ。担架で退場した。尼崎市内の病院で受診し、左足アキレス腱の断裂と診断された。今後、精密検査を受ける方向だが今季絶望の重傷を負ってしまった。

     病院へ行くためにベンチ裏から現れた西岡は車いすに乗っていた。左足首をサポーターで固定していた。タオルで顔を覆い隠すしぐさにショックの大きさが表れていた。

     後半戦のキーマンとして指揮官から期待され、3試合連続で1番を任された西岡が球場を去って、チームは巨人にワンサイドゲームで完敗。この日は2安打と、2戦連続のマルチ安打を刻んだ。貧打で敗れ去り、その存在の大きさが浮き彫りになった。金本監督は試合直後に「昨日3安打で今日は2安打だからね。痛いというか、ちょっと心配だね」と振り返った。借金はワーストの13となった。

    1:2016/07/20(水) 23:48:53.85 ID:

    サンケイスポーツ 7月20日 21時32分配信

     (セ・リーグ、阪神2-6巨人、16回戦、巨人10勝5敗1分、20日、甲子園)
    阪神・西岡剛内野手(31)が20日の巨人戦(甲子園)で左足を負傷し、交代した。球団から
    左アキレス腱断裂と発表された。

     1点を追う二回二死三塁の第2打席で田口から左前同点打を放ったが、一塁ベース付近で転倒。
    西岡はうつ伏せのままトレーナーを待っていたが、号泣しているようにもみえた。虎党の悲鳴の中、
    仰向けにされ、担架で運ばれた。

     西岡はアクシデントが襲ったおよそ20分後にベンチ裏に車いす姿で現われた。顔はタオルで
    ずっぽりと隠されており、表情はわからなかった。そのまま病院に向かった。

    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160720-00000564-sanspo-base
    3:2016/07/20(水) 23:50:43.72 ID:
    今期復帰は無理だな
    5:2016/07/20(水) 23:51:45.15 ID:

    264 風吹けば名無し@無断転載禁止 2016/07/20(水) 23:27:30.45 ID:A9uX2olf0
    アキレス腱切れると手術して3ヶ月荷重をかけれない

    そうすると足首がガッチガチに固まる、リハビリで半年くらいかかるレベル
    そこから更に筋力を戻さないといけない、左足はガリガリとまではいかんが右に比べると明らかに細くなる
    筋肥大は3ヵ月後からだから半年は野球が無理、さらに体のバランスはボロボロ
    左半身の筋力がメチャクチャ落ちて右半身が異様に発達する、このバランスを戻す作業がきつすぎる
    また左足を怪我するかもしれない恐怖の克服、長期間右半身に頼る生活で左側に体重の乗せる違和感、脳のズレが生じる
    これら全てを克服しても昨日の自分より低い能力をやっと手に入れれる
    31歳という年齢で先も長くもない選手生命、下がり続ける年俸、保てないモチベーション
    もう終わりよ
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    東野峻、打撃投手から再出発


    DeNA東野2度の戦力外から打撃投手で再スタート

    <さよならプロ野球>

     2年連続2度目の戦力外通告にけじめをつけた。DeNA東野峻投手(29)が、11年目でプロ野球選手としてのキャリアにピリオドを打った。05年に巨人でプロ入りし、11年には開幕投手の大役も務めた。「開幕投手から3年後にクビでトライアウトを受けて、その翌年にまたクビ。そういう野球選手も珍しいんじゃないですか」。絶頂期から“引退”までが急展開だったことが物語っていた。

     「まさか」が連なったプロ野球人生だった。

     04年ドラフト7巡目で巨人から指名を受けた。「自分の中ではまさかジャイアンツから指名してもらえるとは思っていなかった」。希望に胸を高ぶらせてプロの世界に飛び込んだ。入団から7年目の11年4月12日、ヤクルトとの開幕戦で6回2/3を4安打2失点の好投で自身初の開幕投手を勝利で飾ってみせた。「茨城から出てきて周りはすごい選手ばかりだった。まさか開幕投手ができるとは夢にも思っていなかった」と遠慮がちに振り返る。

     2度の戦力外通告は「まさか」ではなかった。持病の首痛は限界に達し、イメージするボールが投げられない日々が続いた。一線級を投げてきた自負もある。だからこそ、ごまかしが通用する世界ではないと分かっていた。「現役でいる以上は痛い、かゆいは言っていられない。出来ることを全力でやる。それだけでした」。長く続いた2軍暮らし中は、早出のランニングを日課として欠かさなかった。「今年、交流戦で1軍に呼んでもらってはっきりした。投げている自分が一番よく分かっているつもりなんで」。2軍降格を告げられたときには“覚悟”は決まっていた。

     第2の人生も「まさか」から再スタートを切る。シーズン後、戦力外を通告された席で球団から打撃投手の打診を受けた。「まさか、まだ球界で仕事ができるとは思っていなかった。すごく感謝しています」。野球に対するひたむきな姿勢を球団から高く評価され、裏方スタッフとしてのオファーを受けた。「プライドはありますよ。でも邪魔だとは思わない。これからの人生も自分らしく、ですね」。屈託ない笑顔で前を向いた。【為田聡史】

     ◆東野峻(とうの・しゅん)1986年(昭61)7月11日、茨城県生まれ。鉾田一から04年ドラフト7巡目で巨人入団。07年9月13日のヤクルト戦(神宮)で1軍初登板。10年には自身初の2ケタ勝利。11年は開幕投手を務めた。12年のシーズン後にオリックスにトレード移籍。今季はトライアウトを経てDeNAに入団。プロ通算124試合に登板し32勝30敗。防御率3・43。186センチ、89キロ、右投げ右打ち。

     

     

    今思うとなかなか難しい

    DeNA⇒巨人、外人しか成功していないイメージ

     

    来季は元巨人のラミレス氏も監督に就任、DeNAで輝いた元G戦士は?

     DeNAは18日、巨人から戦力外通告を受けた久保裕也投手と契約することで合意に達したと発表した。後日、会見を行う。

    各球団発表、2015年オフの戦力外、引退、補強、移籍一覧

     昨オフにオリックスを戦力外となった東野峻投手、ソフトバンクを戦力外となった岡島秀樹投手、巨人を退団したホセ・ロペス内野手ら3選手が加わり、2015人は計5選手の元巨人選手が在籍したDeNA。親会社変更となった12年以降、DeNAでプレーした元巨人の選手を見てみたい。

    ○林昌範投手(12年~)

     01年ドラフト7巡目で巨人入り。09年にトレードで日本ハムへ。11年オフに戦力外通告を受け、12年にDeNA入団。通算成績は421試合で22勝26敗22セーブ、防御率3・49。

    ○アレックス・ラミレス外野手(12、13年)

     インディアンス、パイレーツなどを経て、01年からヤクルト、 08年から巨人、12年からDeNAでプレー。13年に外国人選手初の2000安打達成した。MVP2度、首位打者1度、本塁打王2度、打点王4度、最多安打3度獲得。日本通算成績は1744試合出場、打率3割1厘、380本塁打、1272打点。14年にBC群馬に入団も同年10月に現役引退。15年6月からオリックスの巡回アドバイザー。同年10月にDeNA1軍監督に就任した。

    ○鶴岡一成捕手(12、13年)

     1995年のドラフト5位でベイスターズに入団。08年途中に真田裕貴とのトレードで巨人に移籍した。10年のオフにFAでDeNAへ。復帰した古巣では初年度で102試合に出場。翌13年もキャリア最多108試合に出場した。14年にはFAで加入した久保康友の人的補償で阪神に移籍。通算成績は709試合の出場で打率2割3分6厘、18本塁打、140打点。

    ○藤井秀悟投手(12、13、14年)

     1999年のドラフト2位でヤクルトに入団。その後日本ハムを経て10年に巨人にFA移籍。12年に巨人へFA移籍した村田修一の人的補償でDeNAに入団した。巨人での最終年は1試合のみの登板に終わったが、DeNA初年度は16試合に登板し、7勝(7敗)を挙げ、翌13年には開幕投手に。21登板で6勝5敗、防御率3・54の成績を収めた。14年は登板ゼロに終わり、オフに戦力外。その年限りで現役を退いた。NPB通算284登板で、83勝81敗、防御率3・77。

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    【悲報】山本昌引退|ネット民の評価まとめ

     「球界のレジェンド」がついにユニホームを脱ぐ。中日の山本昌投手(50)が26日、今季限りでの現役引退を表明した。日本球界の最年長記録を次々に塗り替えてきたが、プロ32年目の今季はここまで1試合の登板のみ。故障に加え、チームが若返りを進める中で、身を引く決意を固めた。週明けに引退会見を開く。10月2日の今季最終戦となる広島戦(マツダ)でのラスト登板を目指し、最後の調整に入る。

     山本昌は、いつも通りナゴヤ球場での2軍練習に参加した。その表情はどこか吹っ切れたようだった。

     「近いうちに会見があるのでその時にね。あまりしゃべるとネタがなくなっちゃうんで。(ユニホームを)あと何回着られるかな。まあ、最後まで頑張りますよ」

     進退については落合博満GMから「自分で決めろ」と一任されていたが、最終的に決断したのは25日。中日新聞本社に出向いて白井文吾オーナーに引退する意思を伝えた。深夜に自身の公式ホームページを更新。「若返りを推進しているドラゴンズの現状を目の当たりにして、僕が残ったら駄目だと強く感じ、引退を決めた」と説明した。

     ここ数年は常に引退と背中合わせだった。「いつ最後になってもおかしくないから」と、春季キャンプの最終日に宿舎で一人、普段飲まないビールで乾杯するのが恒例になっていた。40歳を過ぎて肉体の衰えは顕著になったが、それでも新球の習得に励むなど、進化を求め続け、「中年の星」と称えられた。

     昨年9月5日の阪神戦(ナゴヤドーム)で49歳25日で、プロ野球の最年長勝利をマーク。今季は右膝痛で出遅れたが、8月9日のヤクルト戦(同)に先発し、最年長出場記録を49歳363日まで伸ばした。ただ、この試合で初回の投球中に左手人さし指を突き指し、わずか22球で降板。その後、じん帯の損傷も判明し、2軍で調整していた。

     今後は野球評論家へ転身する見込み。ジェイミー・モイヤーが持つ49歳180日のメジャー最年長勝利記録を塗り替えることは難しいが、50歳でマウンドに上がる目標は諦めていない。「正直全力で投げるのは間に合わない。ただ、前回の途中降板で終わるのは嫌だなという思いはある。何とか一人でも投げられるように調整できれば」と、10月2日の今季最終戦の登板を目指す。

     球団は来春のオープン戦で引退試合を開催する方向。球史に残る左腕の花道を用意する。

     ◆山本 昌(やまもと・まさ=本名・山本昌広)1965年(昭40)8月11日、神奈川県茅ケ崎市生まれの50歳。日大藤沢から83年ドラフト5位で中日入団。93年に最多勝と最優秀防御率。94年は19勝で2年連続最多勝を獲得し、沢村賞に輝いた。06年9月16日阪神戦ではプロ野球最年長の41歳1カ月でノーヒットノーラン達成。08年8月4日巨人戦で通算200勝。通算219勝165敗5セーブ。1メートル86、87キロ。左投げ左打ち。

     
    背番号34はどうなる?
     
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