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    中日ドラゴンズ

    《巨人vs中日》伝説の10・8を動画とともに振りかってみます!!

     巨人の高橋由伸新監督(40)が17日、スポーツ報知の独占インタビューに応じた。12球団最年少の青年指揮官は、就任1年目から日本一を目指すと断言。秋季キャンプでも、個人のレベルアップに重きを置いた厳しい練習を連日課している。2回に分けて掲載するインタビュー前編では、「とにかく勝ちにいく」と覇権奪回に燃える高橋監督の胸中に迫った。(取材・構成=太田倫、片岡優帆)

    【写真】片岡と談笑する高橋監督

     あくまで口調は柔らかだ。しかし、高橋監督は約30分間のインタビューの中で、計6度も「勝ちにいく」というフレーズを繰り返した。現役時代、決して大言壮語しなかった指揮官は、「常勝」という巨人軍の使命に、真っ向から立ち向かう決意を秘めていた。

     「来年勝ちにいくのは当たり前。やるからには2年後、3年後優勝なんて言う人はいない。それに向けてベストを尽くしたい」

     『勝つ、勝つ、勝つ』とは高橋監督の恩師でもある長嶋茂雄終身名誉監督(報知新聞社客員)が94年、中日との伝説の10・8決戦前のミーティングで放った名セリフ。まるでそれをなぞるかのようである。そのため、秋季練習から手始めに取り組むのが、チーム打率がリーグ最低の2割4分3厘に終わった攻撃力のアップである。

     「まずレベルを上げないといけないのは攻撃。今年の課題であり、一番勝てなかった原因がそこだと思う。キャンプで振り込ませている? まあ、一生懸命やってくれているんでね。あんまり厳しいこと言っちゃいけないのかなとは思うけど、やっているのかなと思うところもあれば、当然かなと思うところもある。やはり勝たないといけないしね。何もしなくても打ちます、って言うんなら別にそうしてくれれば構わないが、結果として今年は打てなかった。何かやってもらわないとね」

     原前監督も認めていた通り、チームは「右肩下がり」で過渡期だ。若手の底上げという課題もある。秋季キャンプには新人・岡本や2年目の和田恋といった期待の大砲候補も呼んだ。あえて「勝利」と「育成」の両立に挑む考えだ。

     「皆さん(マスコミ)やファンの方たちが思っている通り、若い選手も出てこなくちゃいけない時期というのは僕らだって感じている。いい選手がいればどんどん使いたい。ただ実力がないのに使うつもりはない。やはり勝ちたいので。そこは本当に難しいところではあると思うが、当然、勝ちにいく。その中で可能性がある選手がいれば育ててもいきたい。ここはすごく矛盾するし、難しい点だとは思うが、理想です」

     今季は兼任打撃コーチとして過ごした。打線の低迷の一因として、真っ先に挙げたのは、軸となる選手の不在である。

     「来年に向けて主力、軸というのが必要。今年は野手に限っては、なかなか1年間、軸となって戦える選手がいなかった。軸と言える選手が出てきてほしい。この選手は(軸になれる)、という思いはある。その選手が中心になれば、もう少し打線はよくなる」

     10・26の就任会見で、野手では阿部、坂本、長野の名前を並べた。そろって今季は不本意なシーズンだったが、能力をよく知るからこそ尻を叩く。

     「会見で挙げた3人には、やっぱりジャイアンツの中心選手として最初から最後までやってほしいという強い思いがある。外から来た選手がダメなんだとかいうわけじゃなくてね。今までは阿部がずっと中心で引っ張ってきた。それを早く坂本、長野が受け継ぎ、阿部に代わって彼らが中心にならなくちゃいけない。慎之助だってまだまだできる年齢だから、もう一回、もうひと踏ん張り、頑張ってほしい。技術はあるわけだから」

     今季はこの3人を含め、8選手が入れ代わり立ち代わり、4番を打った。チームの顔をどっしりと据えたい思いはあるが、今4番構想は「白紙」だという。レギュラー自体も、できる限りフラットな状態から見定めていく考えだ。阿部ら3人も、決して安泰ではない。

     「誰がとは全く考えていない。今年は慎之助が4番を数多く打ったかもしれないが、それでも2回も(けがで)離脱している。やはり中心には離脱せずに戦ってほしい。1年間、迷わず4番というのを(メンバー表に)書けるチームになってほしい。(レギュラー横一線?)現時点では彼ら(阿部ら3人)の能力はあると思っている。ただ、今年の成績ではそういう(レギュラーという)わけにはいかないだろう、と。そういうところで(危機感を持ち)頑張ってほしい、という思いを常に言葉にはしている」

     例えば今季終盤に1番に固定され、若手の成長株筆頭である立岡にしても、厳しい競争を再び勝ち抜く必要がある。

     「立岡も今年頑張ったんで、来年も頑張ってくれればいい。ただ、どこで使うかというのはまだ全然考えていない。他に彼よりも打ったり守ったりする選手が出てくれば立岡だって試合に出られるか分からない。当たり前の話だよ」

     チーム構想がまだまっさらとしても、目指す「高橋野球」のヒントは得たい。初回無死一塁の場面。送るのか強打なのか。どういう選択をするのか、あえて聞いた。

     「采配はまだ全く考えていない。どんなオーダーを組むかによっても変わる。極論を言えば、理想は僕なんか何もしないで、オーダーだけ書いてあとはやってくれ、と。ただそれは理想の話であって、来年の春のキャンプ、オープン戦を見てオーダーを決め、その中でメンバーに合う野球をしなくちゃいけない。勝ちにいくためにはね」

     とにかく指揮官の頭には「勝ちにいく」ために最善の道を探すことだけがある。日本一しか考えていないか、と問うと、力強い答えが返ってきた。

     「そこに行くまでにいくつか段階を踏まないといけないが、とにかく勝ちにいく。やはり日本一ですね」

     ◆高橋 由伸(たかはし・よしのぶ)1975年4月3日、千葉県生まれ。40歳。桐蔭学園、慶大を経て97年、巨人を逆指名してドラフト1位で入団。98年から6年連続ゴールデン・グラブ賞。2004年アテネ五輪出場。15年は選手兼任打撃コーチを務めた。このオフに現役を引退し、原辰徳前監督の後を受けて第18代巨人軍監督に就任。現役時は180センチ、87キロ、右投左打。

     
    古田敦也のプロ野球ベストゲーム「伝説の10・8決戦 94年中日対巨人」
     
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    【悲報】山本昌引退|ネット民の評価まとめ

     「球界のレジェンド」がついにユニホームを脱ぐ。中日の山本昌投手(50)が26日、今季限りでの現役引退を表明した。日本球界の最年長記録を次々に塗り替えてきたが、プロ32年目の今季はここまで1試合の登板のみ。故障に加え、チームが若返りを進める中で、身を引く決意を固めた。週明けに引退会見を開く。10月2日の今季最終戦となる広島戦(マツダ)でのラスト登板を目指し、最後の調整に入る。

     山本昌は、いつも通りナゴヤ球場での2軍練習に参加した。その表情はどこか吹っ切れたようだった。

     「近いうちに会見があるのでその時にね。あまりしゃべるとネタがなくなっちゃうんで。(ユニホームを)あと何回着られるかな。まあ、最後まで頑張りますよ」

     進退については落合博満GMから「自分で決めろ」と一任されていたが、最終的に決断したのは25日。中日新聞本社に出向いて白井文吾オーナーに引退する意思を伝えた。深夜に自身の公式ホームページを更新。「若返りを推進しているドラゴンズの現状を目の当たりにして、僕が残ったら駄目だと強く感じ、引退を決めた」と説明した。

     ここ数年は常に引退と背中合わせだった。「いつ最後になってもおかしくないから」と、春季キャンプの最終日に宿舎で一人、普段飲まないビールで乾杯するのが恒例になっていた。40歳を過ぎて肉体の衰えは顕著になったが、それでも新球の習得に励むなど、進化を求め続け、「中年の星」と称えられた。

     昨年9月5日の阪神戦(ナゴヤドーム)で49歳25日で、プロ野球の最年長勝利をマーク。今季は右膝痛で出遅れたが、8月9日のヤクルト戦(同)に先発し、最年長出場記録を49歳363日まで伸ばした。ただ、この試合で初回の投球中に左手人さし指を突き指し、わずか22球で降板。その後、じん帯の損傷も判明し、2軍で調整していた。

     今後は野球評論家へ転身する見込み。ジェイミー・モイヤーが持つ49歳180日のメジャー最年長勝利記録を塗り替えることは難しいが、50歳でマウンドに上がる目標は諦めていない。「正直全力で投げるのは間に合わない。ただ、前回の途中降板で終わるのは嫌だなという思いはある。何とか一人でも投げられるように調整できれば」と、10月2日の今季最終戦の登板を目指す。

     球団は来春のオープン戦で引退試合を開催する方向。球史に残る左腕の花道を用意する。

     ◆山本 昌(やまもと・まさ=本名・山本昌広)1965年(昭40)8月11日、神奈川県茅ケ崎市生まれの50歳。日大藤沢から83年ドラフト5位で中日入団。93年に最多勝と最優秀防御率。94年は19勝で2年連続最多勝を獲得し、沢村賞に輝いた。06年9月16日阪神戦ではプロ野球最年長の41歳1カ月でノーヒットノーラン達成。08年8月4日巨人戦で通算200勝。通算219勝165敗5セーブ。1メートル86、87キロ。左投げ左打ち。

     
    背番号34はどうなる?
     
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    【悲報】小笠原道大引退|ネット評価まとめ
     

     中日の小笠原道大内野手(41)が今季限りで現役を引退することが8日、濃厚となった。開幕から代打の切り札として起用されてきた小笠原だが、世代交代を進めるチーム方針から8月以降は1軍出場なし。球団はその打撃理論を高く評価し、来季の2軍監督や打撃コーチなどのポストを用意する方針を固めている。

    【写真】中日 リーグ最速70敗…3年連続負け越しに“あと1”

     この日はナゴヤ球場での2軍練習後に取材に応じ、来季の去就について「確かなことがあれば、本人に一番に連絡があるだろうし、まだ何も聞いていないのだからないでしょう。今は一日一日しっかりやるだけ」と話すにとどめた。ただ、今季はここまで42打数13安打7打点、打率・310の成績を残しながら、7月30日の登録抹消以来、1軍昇格はない。

     日本ハム、巨人では打線の軸として活躍し、首位打者2回、最多安打2回、本塁打王1回、打点王1回などのタイトルを獲得。06年に日本ハム、07年には巨人でMVPに輝き、江夏豊氏以来2人目、2年連続では史上初の両リーグMVPとなった。14年に中日移籍後は代打の切り札として存在感を発揮。勝負強さは健在だが、若返りを図るチーム方針の中で、出場機会が減っていた。2軍戦には出場しているが、事実上、1軍の戦力からは外れている状況だ。

     その動向には他球団も注目しており、中日を戦力外となれば獲得に動く球団が出てくる可能性もある。日本ハムを皮切りに巨人、中日の3球団で積み重ねた安打は現役最多の2118本。豪快なフルスイングとアグレッシブなプレースタイルで「ガッツ」の愛称で親しまれてきた。輝かしい実績を残してきた大打者が決断の時を迎えた。

     ◆小笠原 道大(おがさわら・みちひろ)1973年(昭48)10月25日、千葉県生まれの41歳。暁星国際―NTT関東を経て、96年ドラフト3位で日本ハム入団。02、03年に首位打者、06年は打点、本塁打の2冠。同年オフにFAで巨人移籍。07年に史上2人目の両リーグMVPに輝いた。11年5月に2000安打達成。13年に再びFAで中日に移籍した。1メートル78、84キロ。右投げ左打ち。

     

     

    1:2015/09/13(日) 06:10:30.86 ID:
    (セ・リーグ、中日3-2ヤクルト、23回戦、ヤクルト12勝11敗、12日、ナゴヤドーム)
    中日は12日、ヤクルト23回戦(ナゴヤドーム)に3-2で競り勝った。
    7月29日以来の1軍昇格となった中日・小笠原道大内野手(41)が六回二死満塁の好機に代打で登場し、小川から右前決勝打。
    「1軍に上がってすぐ、こういう場面で使ってもらい、最高です」と笑顔を見せた。

    一方で、今季限りで現役引退することも明らかになった。
    小笠原は1997年に日本ハムに入団し、2006年に本塁打、打点の2冠に輝いた。
    07年にFAで巨人に移籍し、11年に通算2000安打を達成。
    14年にはFAで中日移籍後は代打の切り札として存在感を示してきたが、若返りをはかるチーム方針もあり、引退を決断したもようだ。
    球団からは2軍監督や打撃コーチなど、入閣を打診されている。

    小笠原 道大(おがさわら・みちひろ)

    1973(昭和48)年10月25日生まれ、41歳。千葉県出身。
    暁星国際高からNTT関東を経て97年ドラフト3位で日本ハム入団。2007年にFAで巨人に移籍。
    11年5月に通算2000安打を達成。14年から中日。主なタイトルはMVPと首位打者2度、本塁打王と打点王1度。
    通算成績は1986試合に出場、打率.311、378本塁打、1169打点(12日現在)。
    1メートル78、84キロ。右投げ左打ち。既婚。年俸4500万円。背番号36。

    http://www.sanspo.com/baseball/news/20150913/dra15091305020003-n1.html
    2015.9.13 05:02

    http://www.sanspo.com/baseball/photos/20150913/dra15091305020003-p1.html
    ヒーローの中日・小笠原道大=ナゴヤドーム

    http://baseball.yahoo.co.jp/npb/player/11549/
    成績

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%AC%A0%E5%8E%9F%E9%81%93%E5%A4%A7
    小笠原道大


    [15/09/12]中日 決勝打の小笠原道大選手&ネイラー投手 ヒーローインタビュー(ノーカットヒロイン音声)中日vsヤクルト(ナゴド)


    中日ドラゴンズ2015 9月12日  vsヤクルト 帰ってきた小笠原2死満塁で代打勝ち越しタイムリーヒット
    4:2015/09/13(日) 06:13:35.48 ID:
    まだ現役いけるじゃん
    ヘタな若手より打てるのに、なぜ中日は引退に追い込むんですかね?
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    【悲報】和田一浩、引退ネットまとめ
     

     中日の和田一浩外野手(43)が今季限りで現役を引退することが11日、明らかになった。昨季骨折した右手首のリハビリと両膝痛で出遅れたが、6月11日のロッテ戦(QVCマリン)で通算2000安打を達成した。しかし、体の状態は万全には戻らず、その後も休養日を挟みながらの出場が続いたことで引退する決意を固めた。

     過去に通算2000安打を達成したシーズンが現役最終年となった選手は87年加藤英司(南海)92年新井宏昌(近鉄)00年駒田徳広(横浜)05年野村謙二郎(広)07年田中幸雄(日)12年小久保裕紀(ソ)13年ラミレス(D)と7人いる。

     多くは快挙達成を花道にユニホームを脱いだが、ラミレスは翌年も独立リーグでプレーを続けた。

     
     
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    中日和田「びっくり」2000安打|ネット評価まとめ

     

    <ロッテ0-6中日>◇11日◇QVCマリン

     試合後、球場内で和田の会見が行われた。主な内容は次の通り。

    【写真】西武時代、プロ初安打を放った和田

     -今の気持ちは

     和田 本来なら去年いくつもりだったけど、遅くなったなと思う。

     -中日ファンが多く来ていた

     和田 ドラゴンズファンにすごく詰めかけてもらい、声援が大きくて試合をやりやすかった。

     -残り2本で試合に入り、1打席目にタイムリー

     和田 1打席目が大事と思っていた。2死満塁という場面だったので気持ちも入った。それがよかったのかな。

     -王手がかかった2打席目はしびれたのでは

     和田 思ったよりなかったですね。緊張とか特別な感じがあると思ったけど、案外普通に入れました。開幕戦より緊張しなかった。

     -今季ベストゲームともいえる試合で達成

     和田 チームが勝って喜べたのが余計にうれしい。

     -通算打率は3割超

     和田 まだ現役が終わったわけじゃない。数字は終わってから振り返りたい。1打席1打席、一生懸命に積み重ねてきた結果。3割というのは7割失敗しているということ。ほとんどが悔しい思い。いい思いをした感覚がない。

     -家族が応援

     和田 たくさんのことが頭に浮かぶ。家族、両親、いろんな方に支えられた。中日にFAで来たのは、長く野球を続けていられる1つの要因。FAで手を上げてくれた中日に感謝です。

     
     
     
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