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    横浜高校

    横浜高校-采配ミスで負けたエース、プロには負担かからなく良かったって
     

    <全国高校野球選手権:履正社5-1横浜>◇14日◇2回戦

     優勝候補の横浜(神奈川)が履正社(大阪)との天王山に敗れた。

    【写真】履正社・寺島完投「優勝に1歩近づいた」横浜斬り

     雷雨で2度中断する中、2回途中から救援したドラフト1位候補の藤平尚真投手(3年)が踏ん張ったが、打線は同1位候補の寺島成輝投手(3年)から初回の1点しか奪えず1-5で敗れた。

     やっとたどり着いた最初で最後の甲子園。敗れた藤平は、最後まで笑顔だった。「僕がリリーフして点を取られたのが勝負の分かれ目。1回から9回を寺島と投げ合いたかった。僕がみんなを慰めないといけない」。昨秋の関東大会で初戦負けし、号泣した姿はどこにもなかった。試合後は寺島と握手を交わし「絶対に優勝してくれ」と言い、憧れ続けた聖地の土を集めた。

     履正社の上位打線に左打者が並ぶことから、先発は左腕の石川に託された。藤平は7番右翼で先発。試合は雷雨で2度の中断を挟み、石川が2回途中で崩れた。逆転3ランを浴び、平田徹監督(33)が当初描いていた3回を投げ切ることなく、藤平にマウンドを譲った。

     しかし、2死一、二塁で登板した藤平も気持ちの準備ができていなかった。「石川がいい調子だったので、2回が終わってからブルペンに行こうと思っていた」。代わりばなを痛打されこの回5点を奪われた。藤平は6回1/3を投げ4安打7三振無失点。この日のために習得したシンカーも解禁したが、序盤で決定的な点差が開いた。父武美さん(41)は今年、独学でトランペットを学びスタンドから息子を後押ししていた。藤平は「親にも感謝しています。甲子園は楽しかった。この後はプロ野球選手を目指してやっていきたいです」とプロ志望を宣言した。

     神奈川大会で14本塁打の新記録を作った打線は寺島の緩急にやられ6安打、1点しか奪えなかった。東北(宮城)戦で本塁打を放った公家主将は9回に1安打を放ったが「自分の間合いで打てなかった」と振り返った。新チームには、神奈川大会決勝で2ホーマーの増田、横浜スタジアムの電光掲示板直撃弾を放った万波らがいる。後輩たちが、藤平の笑顔と、今日の負けを無駄にするわけがない。【和田美保】

     ▼全員奪三振 横浜が石川-藤平の継投で記録。13年に前橋育英・高橋光が岩国商戦でマークして以来28度目。

     ▼無失策試合 横浜-履正社戦で記録。今大会3度目。

     

    結局、采配ミスだって言われているけど・・・・

    まあ2枚そのまましっかり使えるっていうのも

    事実上の決勝戦だったらエース使ったかな

     

     

     2chでもいろいろと言われている汗

    2:2016/08/14(日) 20:17:51.92 ID:
    雨にやられたな
    5:2016/08/14(日) 20:28:28.72 ID:
    なんちゅー弱さだ、これ
    おまえらが甲子園出るといつもこれ


    甲子園出るのやめてもらえないか?


    相模に大きく差を広げられたな
    恥さらしが!
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    横浜高校野球部、渡辺監督退任ニュースまとめ
     

     ◇横浜・渡辺監督、今夏限りで退任

     ▼ヤクルト・松井打撃投手(96年度卒)「目標がその日その日を支配する」といつも言われていたことが印象的。

     ▼DeNA・後藤(98年度卒。同年、松坂とともに春夏連覇)人間力やまとめる力、全てを兼ね備える監督。最後の甲子園で優勝して有終の美を飾ってほしい。

     ▼ロッテ・涌井(04年度卒)体調を崩していたので早くゆっくりしてほしいとは思っていた。僕をプロに導いてくれた一生の恩人です。出会っていなければプロには入れていなかった。

     ▼中日・福田(06年度卒。同年センバツ優勝時の主将)寂しい。今年も開幕してすぐに連絡を頂いてお話しさせてもらった。中学時代に初めて話をした時、会った瞬間にオーラに圧倒されました。

     ▼DeNA・筒香(09年度卒)精神面のことで高校時代に教えてもらったことが今に生きている。

     ▼日本ハム・近藤(11年度卒)礼儀には厳しく、人として当たり前のことを教えていただいた。

     

     ◇横浜・渡辺監督、今夏限りで退任

     礎を築いてくれた恩師、渡辺監督の勇退。右肩筋疲労でリハビリ中のソフトバンク・松坂は、西戸崎合宿所で渡辺監督から退任の報告を受けていたことを明かし「体調を崩されていることは聞いていました。監督さんから聞いた時はあまりにショックが大きくて言葉が出てこなかった」と静かに話した。

     「目標がその日その日を支配する」。恩師の座右の銘は2年夏に神奈川大会準決勝で敗れてからずっと心に刻む。3年時に甲子園で春夏連覇したが、センバツ優勝後にこう言われた。「頂上にいるが次の山に登るには頂上からは行けない。一度山を下りて、また下から登らないと頂上へは行けない」。その言葉は好調時には自らを戒め、苦境時には支えとしてきた。

     レッドソックスの世界一を懸けた07年のポストシーズン。2戦連続でKOされた後、立ち直って世界一に貢献した裏には「一念、岩をも通す」と書かれた恩師の手紙があった。9年ぶりの日本球界復帰に悩み抜いた際、電話をかけて相談した。「思い出はパッとは言えない」。それだけ重く濃い時間を過ごしてきた。

     「まだ終わっていないので、“お疲れさま”とはまだ言わない。最後、監督さんのために何が何でも甲子園に行くというつもりで選手がやってくれると思う。甲子園で、できれば最高の形で終われればいい」。松坂にとっても復活への戦いに、大きな意味が加わった。

     ◇横浜・渡辺監督、今夏限りで退任

     昨夏限りで現場を退いた横浜の元部長、小倉清一郎氏(70)は感慨深げだった。コーチ、部長として25年以上もコンビを組んだ名参謀は、退任を決めた渡辺監督の心情を思いやった。

     14日に病院に見舞いに行って、渡辺に会ってきました。やっぱり体調は悪そうでしたね。もう彼の体は、限界なんですよ。私が去年の夏に辞めてから負担が大きくなっていたから。無理したんでしょう。ただでさえ良くなかった体がさらに悪くなってしまった。

     私が辞め、渡辺も。寂しさはありますよ。これも時代だからしようがないんだろうけど…。でもね、渡辺だから、ここまでできたということもある。他の名門私立校のように、学校の方が野球部を援助してくれたわけではない。グラウンド以外の部分でも、いろいろと苦労があったから。

     だから、完全に辞めるというわけにはいかないと思いますよ。今の1、2年生には、いい選手がいっぱいいる。そういう選手たちへの責任もある。総監督というような立場であと2年は頑張ってもらわないといけない。野球部が衰退していってしまうのが一番困るので。

     渡辺にとっては最後の夏。ノーシードから8試合勝ち上がるのは厳しいと思うけど、望まれるのならデータ収集も含めて全力で協力したい。(元横浜野球部部長)

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