DeNA東野2度の戦力外から打撃投手で再スタート
<さよならプロ野球>
2年連続2度目の戦力外通告にけじめをつけた。DeNA東野峻投手(29)が、11年目でプロ野球選手としてのキャリアにピリオドを打った。05年に巨人でプロ入りし、11年には開幕投手の大役も務めた。「開幕投手から3年後にクビでトライアウトを受けて、その翌年にまたクビ。そういう野球選手も珍しいんじゃないですか」。絶頂期から“引退”までが急展開だったことが物語っていた。
「まさか」が連なったプロ野球人生だった。
04年ドラフト7巡目で巨人から指名を受けた。「自分の中ではまさかジャイアンツから指名してもらえるとは思っていなかった」。希望に胸を高ぶらせてプロの世界に飛び込んだ。入団から7年目の11年4月12日、ヤクルトとの開幕戦で6回2/3を4安打2失点の好投で自身初の開幕投手を勝利で飾ってみせた。「茨城から出てきて周りはすごい選手ばかりだった。まさか開幕投手ができるとは夢にも思っていなかった」と遠慮がちに振り返る。
2度の戦力外通告は「まさか」ではなかった。持病の首痛は限界に達し、イメージするボールが投げられない日々が続いた。一線級を投げてきた自負もある。だからこそ、ごまかしが通用する世界ではないと分かっていた。「現役でいる以上は痛い、かゆいは言っていられない。出来ることを全力でやる。それだけでした」。長く続いた2軍暮らし中は、早出のランニングを日課として欠かさなかった。「今年、交流戦で1軍に呼んでもらってはっきりした。投げている自分が一番よく分かっているつもりなんで」。2軍降格を告げられたときには“覚悟”は決まっていた。
第2の人生も「まさか」から再スタートを切る。シーズン後、戦力外を通告された席で球団から打撃投手の打診を受けた。「まさか、まだ球界で仕事ができるとは思っていなかった。すごく感謝しています」。野球に対するひたむきな姿勢を球団から高く評価され、裏方スタッフとしてのオファーを受けた。「プライドはありますよ。でも邪魔だとは思わない。これからの人生も自分らしく、ですね」。屈託ない笑顔で前を向いた。【為田聡史】
◆東野峻(とうの・しゅん)1986年(昭61)7月11日、茨城県生まれ。鉾田一から04年ドラフト7巡目で巨人入団。07年9月13日のヤクルト戦(神宮)で1軍初登板。10年には自身初の2ケタ勝利。11年は開幕投手を務めた。12年のシーズン後にオリックスにトレード移籍。今季はトライアウトを経てDeNAに入団。プロ通算124試合に登板し32勝30敗。防御率3・43。186センチ、89キロ、右投げ右打ち。
今思うとなかなか難しい
DeNA⇒巨人、外人しか成功していないイメージ
来季は元巨人のラミレス氏も監督に就任、DeNAで輝いた元G戦士は?DeNAは18日、巨人から戦力外通告を受けた久保裕也投手と契約することで合意に達したと発表した。後日、会見を行う。
各球団発表、2015年オフの戦力外、引退、補強、移籍一覧
昨オフにオリックスを戦力外となった東野峻投手、ソフトバンクを戦力外となった岡島秀樹投手、巨人を退団したホセ・ロペス内野手ら3選手が加わり、2015人は計5選手の元巨人選手が在籍したDeNA。親会社変更となった12年以降、DeNAでプレーした元巨人の選手を見てみたい。
○林昌範投手(12年~)
01年ドラフト7巡目で巨人入り。09年にトレードで日本ハムへ。11年オフに戦力外通告を受け、12年にDeNA入団。通算成績は421試合で22勝26敗22セーブ、防御率3・49。
○アレックス・ラミレス外野手(12、13年)
インディアンス、パイレーツなどを経て、01年からヤクルト、 08年から巨人、12年からDeNAでプレー。13年に外国人選手初の2000安打達成した。MVP2度、首位打者1度、本塁打王2度、打点王4度、最多安打3度獲得。日本通算成績は1744試合出場、打率3割1厘、380本塁打、1272打点。14年にBC群馬に入団も同年10月に現役引退。15年6月からオリックスの巡回アドバイザー。同年10月にDeNA1軍監督に就任した。
○鶴岡一成捕手(12、13年)
1995年のドラフト5位でベイスターズに入団。08年途中に真田裕貴とのトレードで巨人に移籍した。10年のオフにFAでDeNAへ。復帰した古巣では初年度で102試合に出場。翌13年もキャリア最多108試合に出場した。14年にはFAで加入した久保康友の人的補償で阪神に移籍。通算成績は709試合の出場で打率2割3分6厘、18本塁打、140打点。
○藤井秀悟投手(12、13、14年)
1999年のドラフト2位でヤクルトに入団。その後日本ハムを経て10年に巨人にFA移籍。12年に巨人へFA移籍した村田修一の人的補償でDeNAに入団した。巨人での最終年は1試合のみの登板に終わったが、DeNA初年度は16試合に登板し、7勝(7敗)を挙げ、翌13年には開幕投手に。21登板で6勝5敗、防御率3・54の成績を収めた。14年は登板ゼロに終わり、オフに戦力外。その年限りで現役を退いた。NPB通算284登板で、83勝81敗、防御率3・77。