横浜高校野球部、渡辺監督退任ニュースまとめ
 

 ◇横浜・渡辺監督、今夏限りで退任

 ▼ヤクルト・松井打撃投手(96年度卒)「目標がその日その日を支配する」といつも言われていたことが印象的。

 ▼DeNA・後藤(98年度卒。同年、松坂とともに春夏連覇)人間力やまとめる力、全てを兼ね備える監督。最後の甲子園で優勝して有終の美を飾ってほしい。

 ▼ロッテ・涌井(04年度卒)体調を崩していたので早くゆっくりしてほしいとは思っていた。僕をプロに導いてくれた一生の恩人です。出会っていなければプロには入れていなかった。

 ▼中日・福田(06年度卒。同年センバツ優勝時の主将)寂しい。今年も開幕してすぐに連絡を頂いてお話しさせてもらった。中学時代に初めて話をした時、会った瞬間にオーラに圧倒されました。

 ▼DeNA・筒香(09年度卒)精神面のことで高校時代に教えてもらったことが今に生きている。

 ▼日本ハム・近藤(11年度卒)礼儀には厳しく、人として当たり前のことを教えていただいた。

 

 ◇横浜・渡辺監督、今夏限りで退任

 礎を築いてくれた恩師、渡辺監督の勇退。右肩筋疲労でリハビリ中のソフトバンク・松坂は、西戸崎合宿所で渡辺監督から退任の報告を受けていたことを明かし「体調を崩されていることは聞いていました。監督さんから聞いた時はあまりにショックが大きくて言葉が出てこなかった」と静かに話した。

 「目標がその日その日を支配する」。恩師の座右の銘は2年夏に神奈川大会準決勝で敗れてからずっと心に刻む。3年時に甲子園で春夏連覇したが、センバツ優勝後にこう言われた。「頂上にいるが次の山に登るには頂上からは行けない。一度山を下りて、また下から登らないと頂上へは行けない」。その言葉は好調時には自らを戒め、苦境時には支えとしてきた。

 レッドソックスの世界一を懸けた07年のポストシーズン。2戦連続でKOされた後、立ち直って世界一に貢献した裏には「一念、岩をも通す」と書かれた恩師の手紙があった。9年ぶりの日本球界復帰に悩み抜いた際、電話をかけて相談した。「思い出はパッとは言えない」。それだけ重く濃い時間を過ごしてきた。

 「まだ終わっていないので、“お疲れさま”とはまだ言わない。最後、監督さんのために何が何でも甲子園に行くというつもりで選手がやってくれると思う。甲子園で、できれば最高の形で終われればいい」。松坂にとっても復活への戦いに、大きな意味が加わった。

 ◇横浜・渡辺監督、今夏限りで退任

 昨夏限りで現場を退いた横浜の元部長、小倉清一郎氏(70)は感慨深げだった。コーチ、部長として25年以上もコンビを組んだ名参謀は、退任を決めた渡辺監督の心情を思いやった。

 14日に病院に見舞いに行って、渡辺に会ってきました。やっぱり体調は悪そうでしたね。もう彼の体は、限界なんですよ。私が去年の夏に辞めてから負担が大きくなっていたから。無理したんでしょう。ただでさえ良くなかった体がさらに悪くなってしまった。

 私が辞め、渡辺も。寂しさはありますよ。これも時代だからしようがないんだろうけど…。でもね、渡辺だから、ここまでできたということもある。他の名門私立校のように、学校の方が野球部を援助してくれたわけではない。グラウンド以外の部分でも、いろいろと苦労があったから。

 だから、完全に辞めるというわけにはいかないと思いますよ。今の1、2年生には、いい選手がいっぱいいる。そういう選手たちへの責任もある。総監督というような立場であと2年は頑張ってもらわないといけない。野球部が衰退していってしまうのが一番困るので。

 渡辺にとっては最後の夏。ノーシードから8試合勝ち上がるのは厳しいと思うけど、望まれるのならデータ収集も含めて全力で協力したい。(元横浜野球部部長)

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