プロ野球2chまとめブログ

プロ野球ファンがお伝えする…徹底的プロ野球まとめブログ

    スポンサードリンク

    巨人

    村田の非常宣告、阿部敬遠代打由伸

    ◆巨人―DeNA(30日・京セラドーム)

     村田に非情宣告が下された。

     両軍無得点で迎えた8回1死二、三塁。打者・阿部が敬遠されている場面で、ネクストバッターズサークルで打席を待っていた村田がベンチに下がり、代打・高橋由伸が告げられた。

    【写真】絶好調時のマートンを連想させる新外国人カステヤーノスのフォーム

     その高橋由は、きっちりと左犠飛。待望の先制点を奪い取った。

     
     
    【村田の非常宣告、阿部敬遠代打由伸】の続きを読む

    5

    桑田氏が巨人入団騒動を語る「当時の早稲田の受験票を今でも持ってます」

     巨人のエースとして現役時代通算173勝を挙げた桑田真澄氏が23日、BS朝日の『ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~』に出演し、85年のドラフト騒動について語った。

     桑田氏はPL学園高時代、清原和博氏とともに『KKコンビ』と呼ばれ、1年夏から5季連続で甲子園に出場し、2度の全国優勝を経験している。自身も甲子園で通算20勝を挙げた。

     高校時代、清原氏とともに数々の栄光を手にしたが、85年のドラフトで2人の運命を分けることになる。当時、桑田氏は早稲田大の進学を希望していたが、巨人が桑田氏を単独で1位指名。巨人入りを熱望していた清原氏は西武に入団することになり、悔し涙を流した。桑田氏はヒーローから一転、悪役になってしまった。

     桑田氏は当時について「(巨人に)指名されなければ早稲田に行く。巨人に指名されたら巨人へ行きたかった」と振り返る。ただ、当時は巨人を含めた3球団が指名することが予想されていたそうで、「もし3球団から僕を指名していれば抽選ですよね。巨人だけが、僕を指名しました。当然密約と言われても仕方がない。ただ僕は誰にも言わなかった。あの3球団が僕を指名して、くじ引きだったらどうだったのかなと思うと、自分の人生が変わっているかもしれない」と明かした。

     結果的に希望していた巨人に入団を決めた桑田氏は、「早稲田大にも謝罪ましたし、関係者とも会って、厳しいことを言われました。でも、僕の人生なので僕はこういう風に決断しました」と伝えたそうだ。そういった経緯もあってか、「僕は今でも当時の早稲田の受験票を持っています」と告白。

     プロ入り後は桑田氏が巨人で、清原氏は西武で活躍。97年清原氏がFAで巨人に入団してからは、9年間同じチームで一緒にプレーした。

    BASEBALL KING

     
     
     
    【桑田氏が巨人入団騒動を語る「当時の早稲田の受験票を今でも持ってます」】の続きを読む

    5

    鈴木尚広の凄さをまとめました

     
    代走巨人鈴木「僕のミス」2シーズンぶりに牽制死

    <阪神2-1巨人>◇18日◇甲子園

     巨人が誇る「代走のスペシャリスト」鈴木尚広外野手(36)が、2シーズンぶりにけん制死した。

    【写真】巨人鈴木尚の走塁コーチは清水宏保氏

     1点を追う7回無死一塁で代走に起用。1死後、阪神能見の2球連続でのけん制に誘い出された。

     「僕のミスです。流れを変える役割ができなかった」と悔しさをにじませた。

     
    鈴木尚広
    【鈴木尚広の凄さをまとめました】の続きを読む

    5
    好調時にまたしても離脱…巨人・亀井が近年故障した箇所|亀井の近年活躍した動画

     原監督がインフルエンザで離脱した巨人に、またしてもアクシデントだ。

     ここまで16試合に出場し、打率.は293。本塁打はチームトップの3本で、10打点を記録している亀井善行が登録を抹消される見込みであることがわかった。

     下半身に不安を抱えており、16日の試合では今シーズン初めてスタメンを外れていた。

     苦しむ打線の中で気を吐き、このところは3番に入っていた亀井。その能力の高さは誰もが認めるところでありながら、毎年のように故障に泣いている。

     昨年は開幕前のキャンプでノックの際に打球を受けて右手人差し指を骨折し、開幕絶望からのスタート。

     それでも5月31日のオリックス戦で復帰すると、いきなり延長12回に決勝本塁打を放つなど、交流戦期間中に打率.356、3本塁打、10打点と大活躍。チームを交流戦優勝に導き、自身もMVPを獲得した。

     その後も軒並み不振に苦しんだ打線の中で救世主的な働きを見せた亀井であったが、7月に右ふくらはぎに張りを訴えて途中出場を増やすと、8月7日のDeNA戦の走塁中に左太ももを負傷。肉離れと診断され、またしても戦線離脱を余儀なくされた。

     チームにとっても本人にとっても痛すぎる離脱。中止を挟んで4連勝と徐々に調子を取り戻し始めていた王者がまたしても苦境に立たされた。

    【近年の亀井を襲った故障】
    ・2012年
    4月 鼻骨骨折
    7月 左手親指捻挫

    ・2013年~「亀井善行」に登録名変更
    2月 左ふくらはぎの肉離れ

    ・2014年
    2月 右手人差し指骨折
    7月 右ふくらはぎの張り
    8月 左太もも肉離れ

    ・2015年
    4月 右ふくらはぎの違和感

    BASEBALL KING

     
    亀井善行・・・
    応援歌
    【好調時にまたしても離脱…巨人・亀井が近年故障した箇所|亀井の近年活躍した動画】の続きを読む

    5
    金城 巨人1号は涙のV弾、古巣討ちで原監督離脱ピンチ救った

     ◇セ・リーグ 巨人3―0DeNA(2015年4月15日 横浜)

     巨人の金城龍彦外野手(38)が15日、DeNA戦で0―0の7回、右越えに決勝3ランを放った。今季FAで移籍したプロ17年目の38歳が昨季まで在籍した古巣相手に移籍初で、13年以来2年ぶりとなる値千金の一発をお見舞いした。原辰徳監督(56)がインフルエンザB型に感染して離脱する緊急事態の中、チームを救ったベテランの一振り。今季2度目の3連勝を収め、勝率5割に復帰した。

     感極まり、思わず声を詰まらせた。試合後。「原監督も喜んでいるのでは」と問われた金城の目は真っ赤になった。

     「本当によかったと思う。本当に感謝していますし、(テレビで)見ていただけたと思います」

     慣れ親しんだ古巣・横浜スタジアムで、初めてビジターの三塁側で受けたヒーローインタビュー。ここでも瞳はずっと潤んでいたが、獲得してくれた指揮官について話す際、こみ上げる思いをこらえきれなくなった。

     0―0の7回2死一、二塁。ベテランは冷静だった。「ああいう攻め方が多かった。浮いた半速球を狙った」と、2ボール1ストライクから元同僚モスコーソの高めチェンジアップを狙い打ち。金城らしい、バットごとぶつけるような野性味あふれるスイングで、右翼席に運んだ。13年9月17日のヤクルト戦、同じ横浜スタジアムで放って以来575日ぶりの移籍1号。それも決勝3ランだ。監督代行の川相ヘッドコーチと、原監督のトレードマークであるグータッチを交わした。川相代行も「打った瞬間にいったと思った」と称えた。

     試合前、チームに衝撃が走った。原監督がインフルエンザの診断を受けてチームを離脱。ナインは練習前に三塁側ロッカールームで行われたミーティングで、原沢敦球団代表兼GMから説明を受けた。チームの危機を救ったのが、原監督から「若手の手本になる」と野球に取り組む姿勢を絶賛されていた金城だった。

     38歳のベテランも「感謝しかない」と言う。DeNAからFA宣言した際に唯一、手を挙げてくれたのが巨人。原監督は開幕の出場選手登録から金城を外した際にも「2軍に落としたわけではない」とチームに帯同させ、開幕3戦目には登録した。当初は代打生活。「チームの戦力になれることだけ考えて準備している」と結果を残し、9日広島戦(マツダ)から1番で先発起用された。4年前から本格的に取り入れた筋力トレーニングは遠征先でも欠かさない。ベストの80キロ前後をキープしつつ「体脂肪率が下がり、筋肉の量が増えた」と手応えを口にする。

     チームの非常事態に、金城の一振りで勝ち取った1勝。3連勝で勝率を5割に戻した。試合中はDeNAファンからの声援は「集中して聞こえなかった」と言う。しかし、DeNAにも原監督にも恩返しをした試合後には「出来過ぎだと思います。やってきたものが出た」と感慨に浸った。

     ≪3人目の“恩返し”≫金城(巨)が移籍後初となる先制3ラン。FAで巨人に移籍した野手は金城が8人目だが、移籍1号を前年所属チームから放ったのは95年広沢(前年ヤ)、00年江藤(同広)に次いで3人目。決勝弾となったのは金城が初めてだ。金城が本塁打した球団と本数は

    巨・ヤ・神・中・広・ロ・西・ソ・オ・D・計

    21・21・18・14・12・6・5・3・3・1・104

    DeNAが10球団目。日本ハムと楽天から記録すれば12球団本塁打になる。

     
     
     
    【金城 巨人1号は涙のV弾、古巣討ちで原監督離脱ピンチ救った】の続きを読む

    このページのトップヘ