南海
1954年~1977年
ロッテ
1978年
西武
1979年~1980年
投手では-杉浦がNO1って言っているのが
なんか奥さんが居なければいろいろと変わったんだろうなって
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オリックスの谷佳知外野手(42)が現役を引退する決意を固めたことが11日、分かった。13年オフに巨人を戦力外となり、昨年、古巣のオリックスに復帰。通算2000安打と優勝を目指し戦ってきた。しかし、今季はここまで出場10試合で4安打。2軍でのプレーが続いていたため、チームへの影響を考え決断した模様。19年のプロ野球人生に幕を降ろすことが濃厚になった。
【写真】2006年11月トレードで巨人へ入団した谷
天性のバットマンが、静かにユニホームを脱ぐ。積み重ねてきた安打は19年間で1927安打。2000安打達成と、オリックスのリーグ優勝をモチベーションに戦ってきたが、決断の時がきたようだ。関係者の話を総合すると、谷は今季限りの現役引退を球団側に伝えた。球団側は功労者として谷を高く評価しており、引退セレモニーなどを用意するという。
谷は6月11日のヤクルト戦(京セラD)で低迷するチームの起爆剤として今季初の1軍昇格。7月20日の西武戦(同)では473日ぶりの安打、翌日の同カードでは2年ぶりの適時打を放った。止まっていた2000安打への道を再び歩み始めたが、チーム事情で8月5日に登録抹消。その後、出番はなく、2軍で調整を続けていた。
13年に巨人を戦力外になった時は「控え、代打、どんな形でもいい。もう一度、野球がしたい。自分がまだやれることを証明したい」と現役続行を熱望。06年までプレーしていた古巣のオリックスに復帰。恩返しを胸に秘め、ここまで戦ってきたが、出場機会は多くなく、チームに貢献できず。自らで引き際を決めたと見られる。
類いまれな打撃センスでファンを沸かせてきた。09年10月31日の日本ハムとの日本シリーズ第1戦(札幌D)でシリーズ初本塁打を含む3安打3得点の活躍で原巨人の日本一に大きく貢献。10年にくも膜下出血のため亡くなった木村拓也内野守備走塁コーチ(享年37)とは親交が深く、「追悼試合」で8回1死、左中間へ1号代打逆転満塁弾を放ち、お立ち台で号泣したこともあった。木村さんが亡くなった後は、自主トレの場所を盟友の故郷・宮崎で行うようになり、亡き親友とともに1年でも長く現役を続けることを誓っていた。今後については未定だが、球団側が功労者にポストを用意する可能性は高い。また一人、球界を代表するプレーヤーが、グラウンドを去る。
◆谷 佳知(たに・よしとも)1973年2月9日、大阪府生まれ。42歳。香川・尽誠学園高から大商大、三菱自動車岡崎を経て96年ドラフト2位でオリックス入団。01年にプロ野球記録となるシーズン52二塁打。02年に盗塁王、03年には最多安打のタイトルを獲得。06年11月にトレードで巨人移籍。13年オフに自由契約となり、オリックスに復帰。173センチ、77キロ。右投右打。年俸2250万円。参院議員の亮子夫人との間に2男。